傘という憎たらしい奴

雨ってのはつくづく人を苛つかせる道具だと強く感じたのはまだ蒸し暑い九月の頭、もちろん雨が降っていた日のことだ。
その日俺は、学校側の方針で少し夏休みが盆から9月末まであるため、母方の祖母の家に帰省し、次いでに京都の美術館に行くことにしたのだ。祖母の家は大阪にあるため、必然的に電車を使わねばならない。しかし、先程も記した通り生憎の雨で、尚且つ蒸し暑いときた。皆さんも経験はあると思うが、こんな日の電車は正に地獄である。
まず、暑いため汗をかく。これが乾いた暑さによる噴き出るタイプの汗ならまだましなのだろうが、蒸し暑さによる滲み出る汗、ミネラルが不足しているようなベタベタしている汗なのだ。しかも、今回は帰省次いでの旅であるため、着替え諸々を入れるべくリュックサックで挑んでいる。もちろんリュックの下の位置には湿気が籠り、汗が蒸発できずどんどんシャツを濡らしていき、そのシャツは肌に密着し、湿気を更に閉じ込める。悪循環だ。不快の輪廻だ。
更にそれは周りの乗客でも起きる。そして次第に電車内の空間は人々の汗に由来する酸っぱい鼻をつくような臭いと先程の不快の輪廻によるフラストレーションで充満する。更にそれを九月末だからと中途半端な温度設定のクーラーから吹き出る生温い風がかき混ぜる。
これだけでもあの地獄絵図はありありと想像できると思うが、だめ押しとして傘について言及する。
この傘というのは非常に要領の悪い道具だ。まず機能が先端に集中しているため、必然的に重心もそこに集中する。そのため、傘側から提示されてる持ち手を無計画に持つと、本来の重さより重く、そして使いづらいように感じてしまい、ここでもまたフラストレーションが溜まる。
では、傘の中央を持てば良いではないか、と思った方もいるかもしれないが、この部分は雨を遮断する部分、『傘布』で覆われている。もちろんこの傘布は多くの場合濡れており、とてもここを持つわけにはいかない。
いやそもそも電車のなかで傘を大きく動かす必要はないだろうから手首に傘を掛ければよいだろう。幸い持ち手もそれを意図してかフック状になっている、と思った人もいるだろう。しかしこれもあまり良い案ではない。何故なら、これをするには腕を水平±30°の角度にしないと満足に掛けれないからだ。そしてその角度にした場合、必ず胸或いは腹上部の前に傘の持ち手が位置することになり、それはつまり傘布部分は上記の持ち方に比べて高いところに位置することを意味する。こうなると、周りの人の服に水滴がへばりつき、非常に迷惑である。こんなことで電車内空間のフラストレーション濃度が更に濃くなるのは勘弁だ。
と、まあ、こんな具合にこの傘という道具には持ち方の最適解が無いのだ。その上、その旨を傘の野郎に伝えてやると、じゃあ傘なんて使わずレインコートを使えばいいじゃないですか、なんて言いやがる。馬鹿野郎、レインコートなんて風情が無いじゃないか。お前じゃなきゃ雨は楽しくないんだよ。


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