(──絶え間なく泡が螺旋状に上昇し続けている川を取り巻くようにして存在する大都市「壺」。

 さて、この都市のはずれに貴方が生まれた。文化を持つ貴方がこの世界に関わったのだから当然のことである。いま、私が貴方の文化に触れて感化されたのと同様に、貴方もこれから私の持つ文化に触れて感化される。初めてこの世界の文化に触れるのだから私を全て理解するのは難しいかもしれない。

 まず、私は"私"と名乗っているがそれは貴方の文化に従っているに過ぎず、自我のようなものはない。この世界の誰かの文化的遺伝子が、衁(コウ)──空気、水の両方に似た性質を持つこの世を充たす物質である──を媒体として伝わる時にとる形である「泡子」が私の正体である。

 この世界に存在する全ての理性的動物は糊沌(コトン)となる。つまり貴方もこの世界では糊沌である。彼らは決まった形を持たず、個体間の外見上の一致点といえば硬い部分と柔らかい部分を持つことと、コミュニケーションに用いられる管状の器官「墨口」と二本以上の触手を持つこと、感覚器官が皮膚のみであること程度である。また、彼らは文化的遺伝子のやり取りのみに快楽を感じ、彼らの文化的遺伝子は衁中を通るとき、先に述べた泡子となり、周りに伝わる。この泡子は生み出すのにエネルギーを要する為に無闇にばら撒くようなものではない。また、硬い部分──多くの場合殻のような中空の構造をしている──の中に胞子を溜め込む為に、外傷を受けると溢れだす。

ドットの鳥.pmf

 正方形から飛び出す二本の線、僅か14dotの構成、3枚の絵の繰り返しで表現される動き、右からフレームイン、左へフレームアウト、次はその逆、動作の繰り返し。

 昔、熱中していたビデオゲームに繰り返し出てきた鳥型の敵キャラクターだ。幼い私はこの鳥をひどく怖れ、毎日のように夢で追いかけられた。しかし、ゲームを進めていく内に、あるモノを見てからその夢を見なくなった。それは、この鳥の巣である。たった3dotでドーム型に表されたお粗末な巣であったが、その巣を見た途端にかの鳥に抱いていた恐怖はすっと消えた。

存在の問いの必然性

→存在は、最も自明であり、最も普遍的な概念であると思われること、また定義されえないことから、暗がりにあるものであり、それが存在の問いが再度行われる原理的な必然性を示す。

 

存在の問いの(形式的)構造

→問う事は求めることであり、求めることというのは、求められているものの側からあらかじめ受け取った指向性を備えている。また、問う事は、ある存在者の働きであるから、それ自身固有の存在性格を帯びている。

 存在の意味へ向かって問いを立てることだけで存在の意味の解明に近づくことになるため、まずそれを目指す。

 1、「存在は何で"ある"か」というように存在について問うだけでも、質問者は存在が何であるかを漠然と知っている(存在了解)。つまり、漠然と、曖昧としているけども我々は存在が何であるかを少しだけ知っている。

 2、存在者の存在は、それ自体が存在者であるのではない。病気を引き起こすウイルス自体が病気ではないように。よって、存在をまるで存在者のように扱ってはならない。従って、存在への問いを明らかにするためや、存在の意味を理解するためには、存在者を発見する様式とは全く異なった概念組織が要求される。

 3、問われているものが存在で、その存在は存在者の存在なのだから、存在者がそれの存在のことで訊問を受けることとなる。このときの範例的な存在者は何で、またそれがいかなる優位をもつのか。

 4、2を満たすためには質問者となる存在者は質問の対象となるその存在において透明でないといけない。しかし、その存在において透明というのは存在者の存在様態である。つまり、その質問は問われる対象であるはずの存在によって本質的に規定されていることになる。これは一見、循環論法に見えるがそうではない。なぜなら存在者をその存在においてついて規定する(透明になる)ことはその際存在の意味についての明確な概念を用意しておかなくても可能であるからである(1参照)。

 結論を言うと、存在の問いには「循環論法」の含まれぬ構造だが、「再帰的に、あるいは先行的に、連関している」という注目すべき構造が含まれている。

 

存在問題の存在論的優位性

(存在の問いを「あらゆる存在者の存在は何を意味するか」という認識態度から見た必要性)

→基礎概念は、今日において再び考え直すべきであり、基礎概念とはそれぞれの科学のあらゆる主題的対象の根幹にある事象領域についての諸規定であるため、先行的に事象領域そのものを究明して、これらの規定において理解されねばならない。そして、ここでの事象領域は存在者そのものの領域からえられるのだから、この存在者をそれの存在の根本構成について解釈する事につながる。

 哲学的に第一義なものは、本来的な意味で歴史的に存在するもの(すなわち現存在)を解釈してそれの歴史性を究明することである。これが、広義における存在論(存在者の存在とは何であるか)の問題設定である。

 以上から、現存在の存在への問いは諸科学の先験的可能条件を目指すものであり、更に、諸科学に先行しているこれらを基づける全ての存在論そのものの可能条件を目指すものである。よって、全ての存在論は先行的に現存在の存在の意味を解明する事こそが己の基本的課題であると自覚しない限り、自分の本来の意図とすれ違う事となる。

 このようにして、『現存在の』存在への問いは正しく理解された存在論的研究により、少なくとも存在論及び存在論を根幹とする諸科学において考える必要性のある問題となる。

 

存在問題の存在的優位性

(存在の問いを「存在者はいかなる属性をもち、いかなる関係をもってちるのか」という実証的認識態度から見た優位)

パイプの巣

 ──バスに半日揺られた末に、この地を踏んだ。山に囲まれており、かつ道が舗装されてない為なのか、8月であるのにも関わらず比較的涼しげだった。

 曲がりくねった畦道を歩いていくと、幾つもの破家(あばらや)を見かけた。木製のサッシに嵌った擦り硝子を通して、輪郭のぼやけた白いカーテンが見えた。都会では見かけぬ非日常な光景に興奮しながらも、少し不穏な空気を感じた。又、その少し先の曲がり角に面するなにやら大きな葉と高い背丈を有する作物が目につく畑では、奥の方に人を見かけた。挨拶すべきが迷ったが、喉の入口付近につかえを感じたため、見なかったフリをして通り過ぎた。

 畑を過ぎて以降、人の住む家も見当たらない単調な道をしばらく歩くと目的の家が見えた。古民家にしては小さい方ではあるらしいが、都会育ちで大学を出たばかりの私にとってはとても大きいように感じられた。瓦屋根と土壁は背に面した青い山によく映え、柵もない広い庭には古びた手押しポンプと予め送っておいた家具の入った段ボールが積まれていた。私は今日からここに住むのだ。

 この家は家主が8年前に死んでからも、親想いで几帳面な息子が定期的に掃除していたらしいのだが、やはり家主のいない家の管理というのは相当大変と見えて、土地の売れないこのご時世にも関わらず、安い値段で売りに出されていたらしい。なるほど中は直ぐにも生活できそうなほど綺麗ではあったが、土壁には所々にひび割れと大きな窪みが見受けられた。しかし、壁は最初から白漆喰に塗り替えるつもりであり、事実次の日には左官の職人技によって外壁も内壁も綺麗に塗り替えられた。

 そして、塗り替えられた次の日、まだ乾いていないゆえ、朝日を過剰に反射して燐く白い外壁をまじまじと見ていると、右の側面に備え付けられた室外機の下に奇妙なものを見つけた。

 灰を地とした白斑(しろぶち)模様の、火口の結われたパイプらしきものが吸口をこちらに向け、壁に突き刺さっていたのだ。

 昆虫か何かの巣なのだろうが、ともかく壁がまだ乾ききっていない為、取り除こうと急いで柄の部分を握り締め、力の限り押してみるもびくともしない。もちろん虚弱体質ゆえ、腕力は無いかも知れないが、あまりに硬すぎる。落ち着いてよくよく観察してみると、丁寧に磨かれた泥団子と同様な、土の粒子の揃いに依る光沢が確認でき、すなわち普通の昆虫、例えばトックリバチが作るような原始的な泥の巣とは桁違いの技術が見受けられた。又、この壁はつい昨日に塗り変えてもらったばかりなのだから、この建造物は一夜の内に作られた事になるのも奇妙である。

 日が次第に昇ってきたようで、白壁からの反射の勢いも増して頭がくらくらし始めた為、家に入って赤茶けた畳の上に寝転がった。襖を全て開けた夏座敷と呼ばれるこの装いでは、涼しい風が吹き込む為に、幾らか気分がマシになり、明瞭な考えが出来るようになった時分、壁の塗り替えた左官達がちょっとしたいたづらとしてあのようなものを拵えたのではないかと考え始めた。というのも、光沢のある泥団子を作るには石灰を混ぜた砂を用いるのがコツであり、これは大津塗りといわれる伝統的な左官の技術と同じ原理だと気づいたのだ。当然白漆喰にも石灰は使わている為、左官らの道具であのパイプを拵えるのはそう難しくはないであろう。

 しかし、生物の本能的な行動ではなく、人為的ないたづらだと考えれば、次第に腹が立ってきて、今すぐにでも電話をかけて文句の一つでも行ってやろうとも考えたが、口内の唾液が少なくなり、それに反比例して唾液の粘度が増し始めたのを感じて、尻込みしてしまった。結局、壁の塗替えが終わるまで庭先に放置していた残りの家具をやみくもに運びこみ、庭が空になった頃には既に日は没していた。私はひどく疲れていた。

 遠くの電柱にカラスがおよそ3羽見えた。髪の塊が群れを成して、波のように動いていた。アスファルトからの輻射熱が纏わり付く。ポリエステル特有の高い衣擦れ、ひどく湾曲したワシ鼻、女の高い声、睨んでくる細い目。誰かが歯を磨いていないか。もう少し足音の響かない素材はないのだろうか。…彼らは何処に向かっているのだろう。少しくらい道に迷っている人が居ても良いと思う。背中のシャツの湿りが不快だ。淀んだ川が見える。飛び込んでやったら少しは周りの連中もうろたえるだろうか。小さく強い反照、魚であろう。コンクリートで囲まれている河も底には砂地が残されているらしい。すると巻き貝も居るのだろうな。巻き貝、家を背負った軟体生物。…川上から流れてきているのは腐った木材か?ああ、もう少しのぼった所にある無人バラックが崩れたのだな。あ、ホームレスが起きた。視界に入っていたのに気付かなかった。そういえばホームレスを見たのはかなり久しぶりのような気がする。蟻がたかっていて、消えそうだ。ダリの絵を思い出す。そういえば絵画を書こうと躍起になったことがあったな。あの時は断念したが、今はどうだろう。顔が女性器になっている人物のポートレートなんてどうだろう。…余りに幼稚な発送かもしれない。割れ目だけで十分暗喩できるだろう。下ネタはえげつない事を語るときほど遠回しに表現するほうが笑えるらしい。それなら…えっとなんだっけ、遠回しに表現するほうが良いことは覚えているが…。しかしもうそろそろ朝だ。起きないといけない。起きたら何をしようか。そうだ、巣だ、パイプの巣だ。起きたら直ぐに見に行こう。よし、三つ数えたら起きてやるぞ。三、二、一……。

 歯磨きをし、朝食を食べ、コーヒーを飲み、襖を開けて換気をし、更に布団を片付けようと手をかけたが、億劫になってしまったため、先に靴を履いて、例のものを見に行くことにした。夏といえども朝は流石に涼しく、何か羽織ってきたら良かったなと思いながら歩いた。あの壁の前に着き、室外機の下を覗き込むと、パイプから放射状に土色の筋が広がっていた。よくよく観察すると筋は扇型の連なりで形成されており、土色というのは地肌の土壁であった。

 その筋からまっさきに連想されるのはカタツムリがコンクリートに残す食痕である。彼らはコンクリートからカルシウムを摂取し、殻をより強固にするのに役立てているらしい。もちろん白漆喰に多分に含まれる石灰にだってカルシウムは含有されているため、かの強度を保つためには白漆喰で補強するのも不思議ではない。思えばパイプ表面の白斑も少し増えている気もする。ともかく、これで左官の所為でもなければ、パイプには確実に何かが住んでいると分かり、白漆喰の剥げという被害を被っているのにも関わらず、左官らに電話をしなくてよいという事実に胸を撫で下ろした。

 さて、次に気になるのは他でもないパイプの主である。巣の持つ、存在の証明書と存在のトバリというそれぞれ相反する二つの属性により、彼の正体に何やら神秘的なものを感じるほどに惹かれてきたのだ(この時点で壁の剥げはとうに気にならなくなってしまった)。正体に手っ取り早く迫るにはやはり古くから住む地元の人、に聞くのが良いと考え、吃音症の所為で今まで決心のつかなった挨拶も兼ねて曲がり角の畑をたずねてみようと思い立った。

 そうして、曲がり角に向かったところ、畑の手前にこの齢にしては姿勢の良い、溌剌としたお爺さんが居たので、すいません、と声をかけて会話を始めた。初めに軽い自己紹介を済ませた後、まず性格を見定めるために、この畑で育てている作物の事を聞いた。決して人当たりは良いわけではなかったが、この作物はヤツガシラだと言うことや、収穫の際の苦労などを丁寧に教えてくれた。悪い人では無いと分かった為、思い切って、且つなるべく自然に、かの巣の話題を切り出した。しかし、形状を説明する際にパイプという単語を発した時、彼は一瞬地面を一瞥し、再度顔をもたげた。先と比べると幾らか俯き加減であり、三白眼気味となった目はこちらを睨みつけてるようにも見え、何やら恐ろしく感じた私は今すぐにでも先の発言を撤回したかった。こうした刹那の沈黙を破ったのは、バス停方面から来たこの老人の配偶者とおぼしき老婆だった。柔らかい物腰で、どちら様か、と問われたので、簡単に自己紹介だけしたつもりで(というのもこのように狼狽や混乱している時には自分でも何が何やら分からず、ひどい滑舌で、途切れ途切れな言葉の欠片を羅列している事が殆どなのだ)、いそいそと逃げ帰ってしまった。

 家に着くなり、途端に疲れが押し寄せ、布団を敷く迄もなく畳の上で寝てしまった。

            *

 ──目が覚めると強烈な違和感に襲われた。白漆喰であったはずの内壁までが全て剥げており、窪みだらけの土壁が剥き出しとなっているのである。私は呆然としながら土壁に顔を近づけた。斜めに差し込む朝日の所為か、過去の生活が溜まった窪みとひび割れがやけに大きく虚ろに見えた。都会育ちであるにも関わらず、懐かしさを感じる土の匂いだけが心地良かった。

 頭上で軋むような音が鳴った。上を見上げようとしたとき、凄まじい音を立てながら梁が落ちてきて、私はその下敷きとなった。口から胃と腸とが飛び出した。続けざまに少しの間隙も無く、梁を失った家は崩れ始めた。土煙が舞い、懐かしい匂いが強くなっていくのを感じた。

 

 

 

 

 


サムネイル


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二〇一九年三月十四日に見た夢

 大きいが閑散な洋服屋にてカップル同士が喧嘩している。私は彼らを知っていて、彼らの喧嘩が落ち着いたらお金をせびる事ができると思った。
 ちょうど声が聞こえなくなった為、彼らに近づき、女の方に、「喉が渇いた。コーラを買いたい」と話した。女はしぶしぶ私に千円札を渡した。それを受け取りながら、ふと私だけが飲み物を買っては悪いと感じたため、女に何が飲みたいか聞いた。女は「じゃ、コーラ」と答えた。
 私はそれを聞き入れ、店を出ようと歩みを進めたが、五十メートル歩いたあたりで女が「黒いやつ!」と私に呼びかけ、続けて隣にいる男に「これで神奈川県産のやつと分かるでしょ」と小さく呟いていた。私は億劫であったため何も反応せずに店を出た。
 外は夜であった。歩きながら私は、男にも何か飲み物を買わなければ失礼なのではないかと思った。しかし、女から貰ったのは千円のみであり、飲み物を3本買えば百円程度しか残らないではないか、と思ったが、人の金であまりケチケチするのは格好が悪いと考え、男の分も買うことにした。
 場面は転じて、大きなコンクリートづくりの施設。私がいる場所は大きく開け、一つの面は大きなガラス張りで日に照らされた木の見える庭が見える。部屋の中央にはエンジのソファーがあり、向かって木製のテレビデッキに置かれた黒色の薄型テレビがある。横には籠に植えられた私と同じくらいの背丈の観葉植物があっただろうか。
 この施設は階数も多ければ部屋数も多い。
 ある廊下にて青く塗られた重いドアを開けると壁一面に貼られたマジックミラーのような不自然な鏡と、向かって壁際に設置された簡易ベッド上にだらしない体をした全裸の中年が十数人、複雑に入り組み、静止しているのが見えた。彼らの内、顔が見えている者、全員が私を見ている。
 誰か好き好んで中年の全裸を見るものかとドアを閉め、この部屋の向かいのドアを開けた。そこは生活感あふれる雑多とした部屋だった。
 その蛍光灯の白色かつチープな灯りに包まれた空間には、十代後半と見られる女性が十数人おり、それぞれ髪の乾き具合は違うものの風呂上がりのパジャマ姿といったいでたちであり、匂いも生娘のそれが充満していた気がする。中にはパジャマのボタンをまだ止めておらず乳首が見えている者もいた。
 当然私は嬉しかったが、あまり凝視するのは失礼だろうと視界の端に留める程度にしていると、いつの間にやらボタンは止められもう見えなくなってしまった。
 そういえば、この施設の中ではあらゆる人の裸を見た気がする。勿論印象に残っているのは女性だが、男性もそれなりに居たと思う。
 場面は転じて、どこかの駐車場。やたら縦に長いキャンピングカーの荷台を開けて乗り込む。買い置きされた食料が私の身長の5倍は優に超える高さまで積まれている。もしかしたら高く見えるのは下から見上げているからで、実際はそこまでは高くないかもしれない。そしてそれらは45度近い傾斜を描いており、この傾斜の向こうに目的の運転席がある。
 私は取り敢えず食料の坂を登り始めた。
 キャンピングカーの持ち主はぼさぼさであるものの髪色の明るい可愛い女性。顔立ちはかなりアニメ的、或いは記号的。度を超えただらしなさがこのような買い置き方法を思いつかせたのだろう。
 坂のちょうどてっぺん、眼下に運転席が見えるところで、忘れ物をした事を思い出し、ひとつため息をついた後、先ほど登ってきたばかりの坂を滑り降りた。
 場面もしくは時間帯が転じて母親がバイクのようなものに乗って迎えに来た。バイクのようなものというのは、サイドカーのようなものが側面でなく後方についている小さい奇っ怪な乗り物だったからだ。私は後ろに乗り込んだ。家に向かって少し走ったところであのやたら縦に長いキャンピングカーの事を思い出した。あれは私のものだったのだ。
 恐る恐る母親に話すと、どうやら母親のほうがキャンピングカーを運転するという方向に話が進んだらしく、私がハンドルを握ってとり、先の場所に向かって歩いていく母の後ろ姿が見えた。
 場面は転じて、私の自宅とおぼしき場所。私はテレビを見ている。テレビでは今日行った施設、『近大』が紹介されている。無論『近大』とは『近畿大学』の事である。
 やはり、近大の中でも『近大マグロ』は持て囃されており、近大生は天然マグロなどには見向きもしないらしい。また『近大マグロ』に寄生するウオノエは蚕蛾のような優雅な触覚を持っているらしく、番組の中ではこのコスプレをしている近大生が取り上げられていた(白タイツにダンボールで作った触覚がついているのみというお粗末なものであったが)。

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『薬膳料理』の魅力.pmf

 やはり私は『薬膳料理』が好きだ。もっとも膳には既に料理という意味が含まれているために辞書的には正しくはない言葉ではあるが、私が好きな類の料理においては薬膳でなく、『薬膳料理』と呼ぶ方が正しい。

 そもそも本来の薬膳とは漢方薬の材料を使った中国料理の事で、さらに言えば健康保持のための食事として、中国の医食同源の考えから生まれたものである。尚、医食同源とは日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方である。つまり真っ当かつ自明な健康法なのである。これは私の求めている『薬膳料理』ではない。

 私が求めているのは摂取するだけで劇的な効能が期待できるようなものだ。勿論それが兎に生えている角、或いは亀に生えている毛の如く存在するはずのないものである事は錬丹術の発展がまるでなく、健康関連の情報を中心とした情報番組が潰えていない事から薄々勘付いてはいる。しかし逆に言えば世界各国の古典において不老長寿の薬が頻出し、前述したような情報番組が潰えずむしろ盛んな事はかのようなものを求める事は原始的な欲求であり、かついくら文明が発展しても不老のみならず不死までをも実現するまではこの欲求が尽きぬ事を示している。

 『薬膳料理』はこの欲求を疑似的に満たしてくれる。霊薬にも劣らぬような誇張に誇張を重ねた効能を謳い文句に料理を提供してくれるからだ。それも、よりもっともらしく振舞うために多くの場合、対価を携えてくる。この場合、一般的には対価が大きいほど効能も大きいとされ、その対価は辛味、苦味、酸味、ショッキングな外見及び事柄、料理の届けられる過程内にある何かしらを要因とした希少性などとして料理を頼んだ客らに提供され、それぞれ口腔内のカプサイシン受容体で感じる痛覚、舌奥に位置する味蕾で感じる味覚、舌の両端に位置する味蕾で感じる味覚、眼前或いは脳内に浮かぶ刺激的なイメージ、私産の一部の損失或いは料理の完成までの苦労として彼らは味わう。この対価を味わう事が『薬膳料理』の最たる魅力であり、実際に現れる効果、効力なんてものは、プラシーボ効果が関の山であり、彼らは翌日のお通じがよかっただとか、排泄物の色がいつもより濃かっただとか、いつもより糞便が長尺だったなどの適当な事象を取り上げて少なくともプラスではあったと自分を納得させる。このような適当さ、曖昧さからこの類の料理を薬膳でなく『薬膳料理』と呼ぶ。よって鍵カッコも必須であったというわけだ。もしこの料理を手段の目的化と非難されれば反論できぬが、餓死する心配が殆どない現代社会において料理はもはや嗜好品であり、誰が何を食おうが人の勝手である。そっとしといてほしい。

 しかし、近年は薬事法を始めとした様々な法律によってあまりに出鱈目な効能を謳うことは禁止され始めている。一見今をときめく健康ブームと相性良さげな『薬膳料理』のブームが来ないのもそのせいだろう。まったく法律というのは文字の表面だけを撫でているに過ぎず、いまだ言語というものを持て余しているようだ。

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変チン(途中)

ある朝、凍える寒さによってなにか胸騒ぎのする夢から醒めると、ベットのなかの自分が一つのばかでかい陰嚢に変わってしまっているのに気が付いた。――といっても起きてすぐに陰嚢と分かった訳ではない。まず薄膜に包まれたような思考の中で、皮膚表面の感覚器を頼りに身体の形状は大福のような楕円形であることや、皮膚には深い皺が刻み込まれ、ぽつぽつとちぢれた毛が生えていることを突き止め、口は三半規管により下部――更に言えば左寄り――と判断される位置にへの字型且つ舌と歯を失った状態で付いていることを確認した。
その後薄膜が破け、思考が明晰になってくると、なるほど私の姿はヒトの陰嚢に近いものである事が分かった。中央にぐるりと筋が通っており、その筋を境に左右それぞれ、玉のようなものが内(うち)に鎮座している。私がいまこうして生きていることから五臓六腑は現存していると考えると、口の付いている方向である左の玉には消化器官が、さっきからよく脈打つ右の玉には心臓が存在していると推測できる。